無銘 福岡一文字 若狭小浜藩 酒井家伝来
形状 鎬造、庵棟、生ぶ茎、反りやや高く、小鋒となる
鍛 小板目肌、流れごころによく詰(つ)み、乱れ映り立つ
刃 丁子刃、大丁子、小丁子など交り、足・葉よく入り、砂流しかかり、
匂深く、刃寄りに飛焼かかる
帽子 僅かに湾れごころとなり、先小丸、裏の方掃きかけて小丸
茎 生ぶ、雉子股となり、先浅い栗尻、鑢目勝手下り、目釘孔四、
無銘
■ “鎌倉中期を下らぬ備前福岡一文字派の作で、個銘を明らかに
しないが、地刃の出来が華やかで、比較的に健全である。”
(重要刀剣調書より)
■ 本刀は 徳川幕府の老中・大老を務めた 若狭国小浜藩城主 酒井忠勝公が、三代将軍家光公より拝領、爾来酒井家に代々伝えられた 小太刀 福岡一文字 です。
地刃は 紛うことのない福岡一文字。 美しさ、品格の高さは、観る者にこの上ない幸福感を沸き起こすことでしょう。
また附の 金沃懸地家紋散太刀拵 は、幕末に京都所司代を務めた同藩十一代藩主 酒井忠義(ただあき)公御佩用 と伝え、刀身と同様に 大名の表道具に相応しい逸品です。
■ 本刀の手入れ中に 茎佩表 ハバキ下 に、“十六葉菊花紋毛彫” を発見。 専門家より 「摩耗のため明確ではないが 菊紋の様に見える。 福岡一文字と見られる太刀に菊紋が施されたものがあり、
本刀もその一つであることは あながち否定できない」 との見解を頂いています。
されば本刀の位の高さや伝来から、新たな可能性も見えてくるのではないでしょうか。
■ 日本刀剣史上、最も華麗な作風を示す福岡一文字派。 本刀は作域、伝来ともに申し分の無い、まさしく宝刀です。
干将庵 / 2014年10月1日